社会経済生産性本部によると、日本の一人あたりGDPは、OECD12カ国のなかでトップであるにもかかわらず、国民経済生産性(実質GDP/就業者)となると大きく低下し、12カ国中11位にまで落ちてしまうとのことである(ちなみに最下位は韓国)。
どうしてこのようなことになるのか。いろいろの理由が考えられるが、ここでは日本の人口に占める就業者の比率が欧米に比べて高いことに注目したい。
ひらたくいうと、欧米では働く人は根を詰めて働くが、働かない人はまったく働かないという具合に、二つの種類の人間の間にはっきりした分化が進んでいるようなのだ。働く人は目一杯働くから当然生産性は上がる。一方、日本では、その分化がそれほど明確でなく、誰もが自分のペースで、できる限り長く社会に貢献するのを良しとする伝統がある。大勢でゆっくり働くので、生産性は落ちる。
あるシンクタンクの試算によると日本の企業内過剰雇用は700万人に達するという。また高齢の就業者も多く、日本の65歳以上の労働力人口は495万人にものぼり、65歳以上の人口の24%を占めるが、米国ではその比率は12%、英国においては5%にしか過ぎない。
日本の経済システムでは、生産性は落ちるが全体の生産量と雇用は多くなるのである。日本企業は社会的な役割も負わされているともいえる。(それにしては国際的にみて企業の税負担が高いが、ここではそれに触れない)
日本型システムに対する批判は強い。しかし、できるだけ多くの人々に、柔軟な賃金体系のもとに、その余裕と能力に応じて広く活躍の機会を提供するという考え方は、基本的に間違っているとは思えない。これが共同体意識、チームワーク精神につながってくる。これは日本パワーの源泉でもあった。
ヨーロッパではいま、「ワークシェアリング」といって、就業機会をより多くの人々で共有する試みがなされている。これは日本型システムの模倣だが、「模倣」は最高の「賛辞」であるのだ。
グローバル化による価値観の一律化が進んでいるが、社会と文化が異なれば自ずとやり方も異なる。現在、未曾有の不況の中で企業のリストラが進んでいる。しかし、このような日本社会の性格を配慮せず、縮小均衡のみを追求するリストラでは、経済全体としては資源の最適配分につながらないと思う。
縮みと並行して、己の強みの分野に於いては、積極的に人的資源を投入する拡張策が期待される所以である。
(1999年3月1日 橋本尚幸)
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